死ぬことの可笑しみが炸裂?
『生きてるものはいないのか』
石井岳龍監督(2011年 日本)

なんで同じ日にひとが沢山死ぬ映画を続けて見てしまったのか?それも、同じ構造の映画だよ。死ぬ前から死ぬ迄の人々の様子を複数の角度から切り取る映像と、凝り凝りの音作りの。舞台も学校だし・・・病院付きの大学だけど。こんな偶々は、偶々にも起こらないと想うよ。ま、同じ建物の3階と4階で見たから、誰かの魂胆があったのかも知れないけど。

石井聰亙監督の映画を暫く見ないなぁと想ってたら、名前が変わってた。それで見逃していた!と云うわけではなくて、随分撮ってなかったようです。そんなに好きな監督ではなかったんだけど、永瀬正敏が出てたりなんだりで結構見ていて、『DEAD END RUN』(2002)で漸く「嫌いじゃないかも?」って、想えてた。

兎に角、ひとが死ぬ。原因を追求する間もなく次々に死んでしまうから、原因は判らないけど死ぬ。なんでもない筈だったある日にそれは起こって、みんな死ぬ。「一斉に」ではなく、「次々に」だから後の者は堪らない。己もやっぱり死ぬのか?どうなのか?死ぬときは何て云って死のうか?誰の傍で死のうか? 結構切実に困る、急だし。それにしても、近藤くんは気の毒だった(>_<)そして、ひとりになるのが嫌だったのに最後に残ってしまった者が、《ただ、そこに存在するだけの役》で立っている。そんな映像見たことないかも?って、この監督の映画にはいつもそう想わされてるけど。
『エンジェル・ダスト』(1994)を見て以来、不意にあの曲を聞くと「誰かが殺されるんじゃないか?」と未だにビビり続けているけど、今度は誰かが咳込むと「死ぬんじゃないか!?」とビビらされるよー(>_<)

[2012.3.16 ユーロスペース(渋谷)にて]

2012年3月19日記